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福岡地方裁判所 昭和53年(ワ)2639号 判決 1984年6月22日

原告

高千穂木材株式会社

右代表者

加藤清和

右訴訟代理人

友添郁夫

被告

井手千鶴子

井手順子

井手康裕

井手礼子

右法定代理人親権者

井手千鶴子

吉田美智子

鶴田優子

吉田恭一郎

吉田茂二郎

右被告ら八名訴訟代理人

荒木直光

主文

一  原告の請求はいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因第1項、第2項及び第3項中原告の訴外会社に対する売掛代金債権残額についてはいずれも当事者間に争いがない。

二1  原告は、請求原因第4項以下において、右売掛代金回収不能による原告の損害が第一に亡留吉及び被告千鶴子の放慢経営による訴外会社の倒産、第二に右両名が既に訴外会社が破産状態にあり代金支払のあてもないのに原告から多額の原木を仕入れたことによつて生じた旨主張し、これに対し、被告らは、訴外会社の倒産は当時の木材業界の全般的不況、経営の中枢であつた亡留吉の急病、原告の強引な原木引上げによる操業継続不能に基づくものである旨反論するので、以下検討する。

2  請求原因第5項(一)(訴外会社の概要)、同(二)のうち訴外会社の繰越欠損金計上の決算状況及び設備投資の内容、同(三)のうち訴外会社の破産申立時における貸借対照表上の各数値の各事実については当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(1)  亡留吉は先代の父井手計一から訴外会社の経営を実質的に受け継いだ昭和三七年ころ以来二〇年近く訴外会社の経営の主体たる地位にあつて(代表取締役就任は右井手計一が死亡した昭和四九年。)、倒産時の従業員数が一〇名という小企業である訴外会社の経営全般を名実とも取りしきり、その中枢にあつてこれを支配していた。

被告千鶴子は亡留吉の妻として家事育児のかたわら訴外会社の帳簿づけなどの経理事務を補助していたが、訴外会社の経営に実質的に関与参画することはなく、またその能力もなかつた。

亡賢次は昭和三九年ころまで訴外会社で働いていたが、その後退職して別の勤務先に移り、亡留吉の姉婿として亡留吉が倒れた後被告千鶴子から訴外会社の業務の処理について若干の相談を受けたことがある程度で、訴外会社の経営には全く関与していなかつた。

(2)  訴外会社は昭和五〇年から昭和五五年五月にかけ総額一、八〇一万三、〇〇〇円にのぼる設備投資を実施してきたが、右総額の大半を占める一部の機械類はいずれも財団法人福岡県中小企業設備貸与協会からの貸与物件である。

(3)  訴外会社は昭和三〇年ころから繰越欠損金を計上するようになり、昭和四九年三月決算時にその額は二、四〇九万八、九九〇円、昭和五五年三月決算時には四、七六〇万二、八六二円にのぼつていたが毎年の決算損益については、昭和五三年三月決算時までは損失を生じていたが、昭和五四年、五五年と、金額的には大きくはないが利益を計上するようになつた。

原告は、高千穂産業株式会社から分離する以前の昭和四八年以来訴外会社と取引を継続してきたが、その間取引上の事故はなく、原告にとつて訴外会社は優良取引先のひとつであり、右高千穂産業時代に得ていた亡留吉の個人資産に対する抵当権の設定や個人保証は原告においてこれを引継いでいなかつた。訴外会社は、その他の取引先や銀行に対する支払においても事故を起したことはなく、信用を勝ち得ており、訴外会社のみならず、亡留吉や被告千鶴子の個人資産は不動産を主に相当額あり、その評価額は既設定の抵当債務額を控除してもなお十分に余剰があつた。

(4)  昭和五五年一一月二〇日、それまで健康そのものに見えた亡留吉は突然吐血して意識不明の状態に陥り、即刻入院し、肝硬変症、静脈瘤破裂の診断を受け、生命危篤の状態となつた。被告千鶴子は亡留吉の付添にあたる一方、原告あての額面七〇〇万円の約束手形の支払期日が一〇日後に迫つていたため、原告の担当者を通じ、原告に対し右手形の切替(ジャンプ)を依頼し、原告はこれに対し、右手形が既に第三者に裏書されていたため、その決済資金を融資しても良い旨回答したが、その際条件として亡留吉や被告千鶴子の個人保証や資産に対する抵当権の設定などを要求し、被告千鶴子はこれについて意識不明のままの亡留吉に相談することもできず、不安を覚えて右要求を断つたところ、原告は納入した原木を引揚げることを決定し、同月二九日、亡留吉の入院している病院において被告千鶴子に迫つてその同意を取付け、直ちに、いまだ操業中の訴外会社工場から原木をトラックで搬出し、同じころ訴外会社の他の債権者らも同工場に押しかけ、てんでに原木や製材用機器類を持ち去つた。このため、訴外会社は操業を継続することが不可能となつた。

(5)  原告を受取人として訴外会社が振出していた、右同年一一月三〇日満期の額面七〇〇万円のものをはじめ、計一五通の約束手形が不渡りとなつたが、右各手形は、振出日が同年六月一九日から同年一〇月一七日までに及び、右各振出日ころの取引の代金支払のため振出された。

(6)  木材業界は、昭和五五年に至つてそれまで好調であつた新規住宅着工件数が急激に減少したことなどにより深刻な不況に陥り、翌五六年にかけて全国的に大手や中小の業者の倒産が発生、増大するようになつた。

3  以上の事実に基づいて検討するに、訴外会社は、亡留吉が先代から経営を引き継いだ昭和三七年ころには既に恒常的に繰越欠損を計上するようになつていたものであり、その後も欠損金増加の傾向が続いたが、亡留吉が急病で倒れるまでの一八年間、訴外会社は赤字基調とはいえ特に停滞することなく営業を継続してきたし、支払に関して何らかの事故を起すことなく信用を築いてきたものであり、前記の設備投資も、それ自体はコストを低減し利益を増大させるための経営努力の一環といいうるうえ、大半は財団法人福岡県中小企業設備貸与協会からの貸与物件であつて、代価支払条件は当然一般の借入金に比して緩やかであつたと推認することができ、また実際に右支払が滞つていたことを示す事実もないことからして、結果的に設備投資に見合う販売実績が上らず、経営を圧迫したとしても、直ちに右設備投資実施の決定が著しく見通しを誤つた無謀なものということはできず、これをもつて代表取締役あるいは取締役の任務違背とすることはできない。

また、昭和五五年度の原木の仕入れは総額で六、七四六万円余であるのに対し、製品売却代金は破産時の貸借対照表上では一、七〇四万円余にすぎず、かつ同時期の原木在庫は一、〇八九万円余であつて、この点からすると、右仕入れが過大であるように見えるが、同年度の仕入れ量が前年や前々年のそれと比較して過大なのかどうかを認定する資料はなく、また、亡留吉が倒れた直後に原告ら債権者によつて大量の原木が搬出されたため、破産時の原木在庫が大幅に減少したこともあり、結局右仕入れの量が訴外会社の営業実績にてらし著しく過大であつてとうてい代金支払の目途のない取引であつたと断定するに足りる証拠はなく、また、原告主張のように訴外会社が仕入れた原木を他の業者に仕入れ値を割つて売却して当座の資金繰りにあてていたという事実を認めるべき資料は何らない。

その他、亡留吉及び被告千鶴子が、訴外会社の経営にあたり、その職務上の義務に違背し、よつて訴外会社の資金繰りを悪化させ倒産に至らしめたという具体的な行為及び因果関係を認めるに足りる証拠はなく、結局、訴外会社は、もともと財政的基盤の脆弱な小規模企業であつたうえ、昭和五五年に入つてからの業界全体に及ぶ不況のため、設備投資による生産性向上の試みもこれに応じた販売実績を上げることができなかつたことから資金繰りを圧迫する結果となり、そのさなかに経営を一手に掌握し、訴外会社の経営にとつてかけがえのない亡留吉が再起不能の病に倒れるという突発的事態が発生したことにより倒産のやむなきに至つたものであつて、これらの要因はいずれも亡留吉あるいは被告千鶴子の責に帰すべからざる事由であるといわざるをえない。

次に、亡留吉及び被告千鶴子が、訴外会社の資金繰り上代金支払のあてがないのに原告から原木を仕入れたとの主張については、前述のとおり、亡留吉が突然重篤な病に倒れたことが訴外会社の倒産の直接的原因であり、もとより右の異常事態を亡留吉らが原告との取引時点で予想しえた筈はなく、また、前記の木材業界の不況の影響を訴外会社も免れることができず、訴外会社が一部同業者らと融通手形を切り合い、その資金繰りのかなりの部分を右手形の割引に依存していたことが前掲各証拠上窺うことができ、また、亡留吉が倒れた時点において、一〇日後に支払期日が迫つた七〇〇万円の手形の決済資金がなかつたことなどから、そのころ訴外会社の資金繰りがかなり苦しくなつていたことが推認できるが、なお亡留吉及び被告千鶴子は担保価値の高い個人資産を保有しており(被告千鶴子本人の供述によれば、現に亡留吉は倒れる前ころ資産の一部を処分して従前の負債の整理に充て、新たな借入枠をもうけることを考えていた。)、かつ、訴外会社の取引先や銀行に対する信用も高かつたことを考えると、亡留吉が健在であれば、手形決済資金の調達は十分可能であつたとみるべき余地があり、ましてや、原告との取引時点において既にその将来の弁済期における支払が不能であることが客観的に明らかであるか、ないしは高い蓋然性をもつてこれが予測しえたと断定することはとうていできないといわざるをえない。<以下、省略>

(池谷泉)

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